内田也哉子ともっくんの馴れ初めは?15歳と25歳の出会いから結婚へ!

内田也哉子アイキャッチ

エッセイや翻訳、ナレーションなど幅広い分野で活躍する内田也哉子さん。

母は名女優の橋木希林さん、父はミュージシャンの内田裕也さんということでも知られています。

結婚相手はアイドルグループ「シブがき隊」の元メンバー・本木雅弘さん(愛称:もっくん)。

二人の結婚は、当時19歳の内田也哉子さんとの10歳差の結婚ということもあり、大きな話題になりました。

出会った当時、15歳と25歳という年齢差を超えて結ばれた二人の物語は、どのような経緯で結婚に至ったのでしょうか?

今回は、その秘密に迫ってみましょう。

目次

内田也哉子ともっくんの運命的な出会い

二人の出会いは1990年頃、内田也哉子さんが15歳、本木雅弘さんが25歳の頃

父・内田裕也さんが主演する映画の打ち上げに参加したときでした。

その食事の場に内田也哉子さんがいて、そこで本木雅弘さんと初めて顔を合わせたのです。

也哉子さんが夫・本木雅弘さんと出会ったのは中学3年生のとき。

父が企画・脚本・主演した映画『魚からダイオキシン!!』(1992年)の関係者の食事会に呼ばれ、共演の本木さんを紹介されたのだ。

当時の彼はアイドルから脱却し、本格派の俳優として頭角を現し始めたころだった。

出典:女性自身

本木雅弘さんは、内田也哉子さんの落ち着いた態度に「見たことのない15歳」という印象を持ったそうです。

その当時から何とも言えない、こんな15歳見たことないっていうような、落ち着き払った態度でいて、ひそかにその存在感に惹かれてたところがあった

出典:スポニチアネックス

15歳という若さで、本木雅弘さんにそう思わせた内田也哉子さん。

「存在感に惹かれた」と感じた本木雅弘さんの言葉は、ただの一目惚れというより“本質的な何か”に触れた感がありますよね。

内田也哉子さんはこのとき15歳。

まだ将来のことなんて全然見えていない年齢ではないでしょうか。

それなのに、出会った相手が“数年後に自分の人生を共にする人”になるなんて、想像もできないことだと思います。

これはもう、単なる恋愛じゃなくて「導かれた」としか思えないですよね。

人生は何が起こるかわからないですが、だからこそ大切にしたい“出会いの奇跡”を感じます。

文通から始まった10歳差の純愛

高校1年生の頃、内田也哉子さんは、ある“偶然の仕事”で本木雅弘さんと再会します。

ちょうどスイス留学を控えていた頃のこと。

父・内田裕也さんを通じて、本木雅弘さんの仕事の通訳を手伝うことになりました。

15歳で父の食事会で本木さんにお目にかかり、翌年から、私はスイスに留学したんですが、その直前に、本木さんの事務所の社長と父が仲がよかったことから、英語が話せて、ちょっと身の周りのアシスタントができる人を探してる、っていう話が来たんです。

出典:weeksdays

その仕事とは、日本で初めてアカデミー賞の授賞式をBSで生中継するという企画。

ナビゲーターを務めるのが本木雅弘さんだったのです。

英語が話せて、映画好きだった内田也哉子さんは、その話に「ぜひ」と即答し、再会した二人は、1週間の仕事を通して親交を深めていきました

そうして「あ、そういえば、あのとき会った本木さん」っていう感じで再会し、テレビの仕事は撮影に合間があるから、いろんな話をしていくなかで、もうすぐスイスに留学するということで、住所交換をして、文通が始まりました。

出典:weeksdays
出典:家庭画報
アカデミー賞の授賞式へ向かうリムジン内のショット

文通はスイス留学中も続き、17歳のときに夏休みで帰国した際には東京で二人で食事をすることに

そのとき本木雅弘さんから伝えられた言葉は、まるで遠回しなプロポーズのようでした

「私には白髪のあなたが想像できるし、そういうあなたが愛おしいと思える気がする。今すぐじゃなくても、いつか結婚という選択肢が現れたとき、私もそこに入れてください」(1993年の夏、西麻布にあった関西割烹「川奈」の座敷にて)

出典:文春オンライン

「白髪のあなたが想像できる」なんて、17歳の少女に向けて語るにはあまりに成熟していますよね。

しかも“未来のあなた”を想像し、それを「愛おしいと思える」と言うあたり…もう、ロマンを超えて哲学の域。

「今すぐじゃなくていい」っていうのもまた、押しつけがましくなくて、心にそっと触れる感じが優しさを感じます。

一方で、“選択肢に入れてください”という一言には、しっかりとした意志が込められていて、響きますね。

この言葉に対し、内田也哉子さんは「頭がおかしい人で、誰にでもそうやって言ってるんじゃないか」と思ったと語っています。

しかし、本木雅弘さんは本気モード全開でした。

「会いにも来ましたから、スイスに」と、留学していた地へも駆け付けるほど、本木の也哉子さんに対する思いは強かったようで、友人らにははじめ、年の離れた本木を「親戚のおじさん」と紹介していたと明かした。

出典:スポーツ報知

17歳で、しかも「お付き合いしていない」状態の相手から、いきなり将来の話をされたら、「この人何言ってんの?」っていう気持ちはわかりますよね…

しかも、相手は10歳年上で、俳優として活躍している本木雅弘さん。

でも、本木雅弘さんの誠実さや真剣さも見えて、内田也哉子さんも心に残ったのではないでしょうか。

「親戚のおじさん」呼ばわりされるのは、ちょっと切ないですが…、まだ心の整理がついていなかった年頃の内田也哉子さんにとっては、正直な感情と世間体のはざまで揺れる時期でもあったのかもしれません。

プロポーズと結婚への道のり

その後、内田也哉子さんはフランス・パリの大学に進学します。

そして19歳の時、ついに本木雅弘さんから正式なプロポーズを受けます

それから2年後の1995年、フランスの大学に通っていた19歳のとき、29歳の本木さんと結婚

出典:女性自身

しかし、もともと母・樹木希林さんは、娘には芸能界と関係ない人と結婚してほしいと望んでいたそうです。

母は、自分がこの業界に長くいるから、「結婚相手はカタギの人にしてくれ」ってずっと言ってたんです。

出典:weeksdays

しかし、後に本木雅弘さんの実家が代々続く農家であることを知り、「この本木家のすばらしい遺伝子を、もし内田家におすそわけいただけるんなら」と前向きになった樹木希林さん。

内田也哉子さんより先に盛り上がった樹木希林さんは、本木雅弘さんに婿入りを提案します。​

「本木さんの実家は16代も続くお米農家です。400年も前のお墓を守り、その土地で自然に耳を傾け、耕し、食卓に糧を届けてきた。

母は『そんなルーツを持つ農家のご子孫なら』と最大限の敬意を示していましたが、内田家も絶やしたくなく、本木さんが内田家に入ってくれることになりました」

出典:女性自身

本木雅弘さんは次男であったため、婿入りの話が進み、結婚に至りました。

1995年7月7日(七夕)、明治神宮で結婚式が行われ、両家の親族や知人が集まりました。

結婚式では、樹木希林さんが2千円で購入した古着の着物を也哉子さんが着用し、「地味婚」の先駆けとしても話題に。

そして、結婚式の日取りにも裏話が…。

平成7年7月7日に夫と私は、明治神宮で結婚式を挙げた。

結婚するという事は、その2年ほど前から話していたが、このまるでスロットマシーンの大当たりみたいな日取りは、母の「絶対に忘れないし、7が三つも重なるなんて面白いじゃない」というアイディアから始まった。

出典:家庭画報

樹木希林さん、さすが“唯一無二の感性”を持つ方ですよね!

そして、思い立ったが吉日、すぐに本木雅弘さんが予約を入れたそうで、スパッと決めるあたり、慎重すぎない、でも深く繋がっている関係性が垣間見える感じで、夫婦のスタートとしてもすごく素敵だと思います。

まとめ

内田也哉子さんと本木雅弘さんの馴れ初めは、10歳差という年齢の壁や遠距離を超えた、まさに運命的な出会いと純愛の物語でした。

出会いから文通、そして結婚へと至る過程には、家族のつながりや、二人らしいユーモアと誠実さが随所に感じられます。

特別なことをしたわけではなく、心を通わせ続けた時間そのものが、深い絆を育てていったように思えます。

現在も個性的な夫婦として注目を集める二人。

これからも互いを尊重し合いながら、独自の家族観を持ち続けることでしょう。

内田也哉子さんと本木雅弘さんの今後の活躍にも、ますます期待が高まりますね!

それでは、ありがとうございました!

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