俳優・本木雅弘さんとエッセイスト・内田也哉子さんの長男として注目されるUTA(内田雅樂)。
189cmの長身を活かし、国際的に活躍するモデルとして注目を集めています。
その肩書きだけでは語れないUTAさんの魅力は、スポーツに青春を捧げた日々と、そこから転身したモデルとしての表現力にあります。
189cmの高身長と抜群の存在感を誇るUTAさんは、かつてNBAを目指しアメリカでプレーしていたバスケプレーヤーでした。
祖母・樹木希林の助言と、バスケで培った精神力が、モデルUTAを生み出す礎となったのです。
今回は、UTAさんがバスケットボールをやめて、モデルへ転向した軌跡などを振り返ります。

本木雅弘の息子・UTAの人生を変えたバスケとの出会い
UTAさんがバスケットボールを始めたのは小学5年生の時でした。
都内のインターナショナルスクールに通っていたときに、バスケットボールに出会いました。
バスケをちゃんと始めたのは11歳の頃。通っていた学校がインター(ナショナルスクール)で校庭がすごく小さく、バスケくらいしかできなくて。
出典:BRUTUS
UTAさんは、バスケットボールの魅力にすぐに引き込まれ、仲間に入れてもらうために努力を重ねていたそうです。
僕はどこの国に行ってもストリートバスケをします。言葉が通じなくても、ボールを見せて、やろうと合図をすれば、一緒に始められる。バスケは最高です。
出典:BRUTUS
そして、バスケットボールを始めたきっかけは父・本木雅弘さんの影響も。
実は彼のインスピレーションとなったのは父親だという。「父が学生時代にバスケをやっていたので、僕が初めて影響を受けたスポーツでもある」と付け加える。
出典:VOGUE JAPAN
その後、12歳でスイスの名門ボーディングスクール「ル・ロゼ学院」に単身留学。
UTAさんは、「家族と離れるのはつらかったが、自立心も強く状況に慣れるまで時間はかからなかった」と語っています。
母・内田也哉子さんも9歳でニューヨークにホームステイを経験していますので、「早い段階で世界に触れること=人生の土台になる」という、内田家の教育方針なのでしょうね。
UTAくんは、小学生の時は東京のインターナショナルスクールに通い、中学からは単身でスイスに留学しました。(中略)スイス留学したUTAはスポーツでも超エリートコース。長身を生かして小学5年生から始めたバスケットボールを留学先のスイスでもプレーし続けた。
出典:NEWSポストセブン
ここでUTAさんは、さらにバスケへの情熱を深め、多言語環境にも順応しながら、グローバルな価値観を育みました。
アメリカでの本格修行と日本代表候補

UTAさんの才能は海を越えて評価され、15歳の時にアメリカ・フロリダ州にある名門スポーツ学校「IMGアカデミー」にスカウトされました。
お父さん譲りのストイックさで練習を重ねるうちに、アメリカの名門スポーツ校のスカウトの目に留まって転校。大学もカリフォルニア州にあるバスケの強豪校に進学しました。
出典:NEWSポストセブン
この学校は、テニス選手の錦織圭など、多くのトップアスリートを輩出していることで知られています。
IMGアカデミーでの生活は、UTAさんにとって大きな挑戦でした。
広大な敷地に最新のトレーニング施設が整備され、NCAAやプロチームと連携した一流の指導体制の中で、UTAさんは日々厳しい練習に励みました。
この環境で、UTAさんは飛躍的に成長し、大学はカリフォルニア州にあるバスケの強豪校に進学。
2017年には、日本代表チームの東アジアバスケットボール選手権の直前強化合宿に参加するほどの実力を身に付けたのです。
田渡と同じドミニカン大学カリフォルニア校に昨年進学し、俳優の本木雅弘さんを父親にもつ内田雅樂も合宿に参加。合宿に呼ばれた心境として、「すごいびっくりしました。レベルの高いところで、日本のトップ選手たちと一緒にバスケットができるのはすごくありがたいです」
出典:バスケットボールキング

バスケットボール男子日本代表チーム 東アジアバスケットボール選手権大会2017 直前強化合宿①
しかし同時に、プロの世界の厳しさも痛感することになります。
UTAの転機、モデルの世界へ

バスケットボール選手としても一定の評価を得ていたUTAさんですが、プロの世界で生き残っていくことの厳しさを現実的に感じ始めます。
NBAの壁の高さや、日本のプロリーグでも「入ることがゴールではなく、そこから何ができるかが重要」と自ら語るように、次第に進路に悩むようになります。
「やっぱり生き残っていくには相当大変な世界なので、たとえ日本のプロだったとしても、入れただけでゴール達成じゃなくて、(プロに)入ってから何ができるかなので、そういうことも現実的に考えたりもして、自分の中でももうバスケとは離れるというか(そういう決断をした)」と限界を感じ、勝ちを求め、他のフィールドでのチャレンジを決めたと明かした。
出典:スポニチアネックス
そんな時、知人からモデルの仕事を勧められ、パリのモデル事務所からスカウトを受けたのです。
この決断には、祖母である樹木希林さんの言葉が大きな影響を与えました。
《「ある種、服というのは内面を映す鏡。同じ服を着てもみんな違って見える。いろいろな服を着ることで、より自分を客観視できる。それは生きていく上でも大切なこと」》
出典:NEWSポストセブン
樹木希林さんの助言が、UTAさんの背中を押したのです。
「モデルとしてのキャリアをスタートさせる後押しをしてくれたのは祖母なんだ。若い頃にしかできないことがあると気づかせてくれた上、あえて自分の安全地帯以外の場所で新しいことにトライしたらってね」と振り返る。
出典:VOGUE JAPAN
2018年、UTAさんは、“モックンの息子”として注目されるのではなく、自分の力を試したいという理由で、パリのエージェンシーと契約。
「コム デ ギャルソン」と「アンダーカバー」のショーに日本人唯一のモデルとしてパリコレデビューを果たしました。
これを機に、UTAは国際的なモデルとしてのキャリアを本格的にスタートさせたのです。
UTAさんは今でも「バスケットボールは人生の一部」と語ります。
モデル業界も、バスケと同じく競争が激しく、心身ともにタフさが求められる世界。
そこでしっかりと自分を保ち、努力を継続できているのは、やはりバスケットボールで培った集中力・根気・自己管理能力が大きいと思います。
そして、現在はモデルにととまらず、父・本木雅弘さんや内田也哉子さんとの共演や、SNSでの発信でも注目を集めています。
2025年3月には、音楽・映像と融合したアーティスト活動「JIRO」を始動。
バスケットボール、モデル、そしてアート。
どの分野でも一貫して「自分を表現する」ことに挑んでいて、本当に多才で魅力的ですね。
まとめ
バスケットボール少年から国際派モデルへ。
UTAさんの人生は、常に挑戦と成長の連続でした。
バスケで培った根気や努力の積み重ね、そして家族の愛情と教育方針が、UTAの現在を形づくっています。
自分の選んだ道が何であれ、熱心に向き合えと教えてくれたのは家族。
出典:VOGUE JAPAN
モデルとしての姿勢には、スポーツ選手としての厳しさと、国際的な感覚が自然と滲み出ており、ただの”二世”には収まらないオーラを放ちます。
これからもUTAさんは、世界を舞台に「内田雅樂」としての人生を切り拓いていくことでしょう。
新たな挑戦と成長が、これからも多くの人々に刺激と勇気を与えていくことを楽しみに応援したいですね!
それでは、ありがとうございました!

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